大学進学を決意した34年前の夏休み

私は、兵庫県龍野市に生まれ、小学生より高校3年生までサッカー部に所属していました。

当時通っていた高校は、一学年12クラスもある地元では有名な進学校でしたが、私が

所属したサッカー部の先輩の殆どが高校を卒業し、地元の企業で働くというのが一般的

でした。私も、高校卒業すると姫路の〇〇会社で働くんだろうなと何となく考えていました。

そんな高校三年生の夏休みに入る直前に、一つ年上で関西学院大学(通称:関学)に進学され

た先輩が帰郷されており、先輩に就職の話をすると、「就職もいいけど進学を考えたことが

ないのなら進学も考えて進路を決めるべき。」「関関同立の中でも関学であれば、英語を集中

的に夏休みに勉強すれば可能性は十分ある。」「とにかく夏休みは一日12時間勉強すれば、

まだ間に合う。」等のアドバイスを頂き、夏休みに入る高校の三者面談で「関学を受験します。」

と先生と母親に言ったところ、2人が大変驚いていたのを今でも覚えています。

元々、勉強は嫌いではなかったのですが、サッカーに明け暮れた高校生活でしたので、

偏差値も当時30台後半から40台前半で、一浪どころか二浪は覚悟しないと無理と

担任の先生も仰っていたと思います。

そしていざ、夏休みが入り一日の半分の時間となる12時間勉強することとなりました。

確か、ノートに一時間勉強する毎に棒グラフを描き塗りつぶしていました。

最初のⅠ~2週間は、机に向かって勉強することに慣れておらず、なかなか勉強に身が

入りませんでしたが、棒グラフが12時間に達する達成感とこれまで勉強してこなかった

反動か、少しづつ勉強が楽しくなったのを覚えています。

8月に入り、更に受験勉強に専念すべく、母方の岡山の祖母宅に下宿し、食事と睡眠以外

は、受験勉強の生活がスタートしました。今でも覚えているのが、夢でも勉強しており、

目覚めて答え合わせをしたことを鮮明に覚えています。

夏休みは、12時間以上勉強しましたが、二学期に入ると当然学校生活が始まり、何故か

当時は、国公立進学コースのクラスに籍を置いており、当然、私大には必要のない数学・理科系

の授業もありましたが、その科目の授業中もコソッと英語・日本史・国語の勉強をしていたと

思います。平日は、朝の2時間、夕方から就寝までの4時間~5時間は勉強していましたが、

秋以降に受けた模試の判定は、何れも「E判定」でしたが、何故かあまり模試の結果は意識

していませんでした。というのも受験を決意した先輩の「夏休み一日12時間勉強すればまだ

間に合う。」との言葉を信じていたからです。それとあくまで受験は2月初旬、本番で結果を

出せばいいと自分で自分を奮い立たせていました。

その後、冬に入り相変わらず模試の判定も「E判定~D判定」でしたが、確か年末に解いた

赤本で合格点に達したことがあり、この時、「受験まで1カ月、このペースで頑張れば

受かる!」と自分を鼓舞したことを覚えています。

結果として、英語の配点が400点中200点を占める関学の法学部に無事に合格出来ましたが、

今でもこの夏休み直前になると毎年、先輩から頂いたアドバイス「夏休み一日12時間勉強すれば

まだ間に合う。」この一言を思い出します。

やはり、何事も一生懸命に取り組めば結果はついてくると今でも思う、私の夏の体験談でした。

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